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こうしてイスラエルと解放機構の直接交渉の末、1993年のオスロ合意、パレスチナ暫定自治協定に基づいてパレスチナ暫定自治区が設立された。 パレスチナ承認国はアラブ諸国を始め、アフリカやアジアなどにも多い。一方、先進国や南米、中央アジアなどには少ない。暫定自治政府は、憲法にあたる基本法に基づいて運営される。最高議決機関は民選によって選出されたパレスチナ立法評議会(PLC)で、立法府に相当する。立法評議会の当初の定数は88であった。2005年6月の法改正で定数は132に増やされた。 行政事項を執行するのはパレスチナ行政機関で、自治政府の長である自治政府大統領(ライース、マスコミでは議長、外務省はかつては長官といっていたが現在はこの訳をあてている)がその長を務める。また、行政機関の各庁長官(外務省はこの訳をあてているが、マスコミでは省、大臣、相ということが多い)が閣僚となり、内閣を構成する。2003年からは内閣の長として首相が置かれるようになったが、大統領であるヤーセル・アラファートPLO議長が安全保障関係の権限を内閣に委譲することを拒否し、翌年のアラファート死去まで大統領のワンマン支配が続いた。 アラファート死後、2005年1月9日、後任の自治政府大統領選が行われ、マフムード・アッバースが当選した。 治安維持を担当するのはパレスチナ警察隊で、パレスチナ解放機構の軍事部門であるパレスチナ解放軍を基礎として設立された。しかし、アラファート議長が独占する自治政府の治安維持部門について、イスラエル政府やアメリカは対イスラエルテロの抑制に十分働いていないと認識し、不信の目を向けている。イスラエルは、しばしばテロへの報復であるとしてパレスチナ警察を攻撃した。イスラエル側はテロリストを支援、黙認していると見なしているため、パレスチナ側のテロ事件があるたびに、パレスチナ警察を報復の対象とした。アラファートPLO議長は、2001年12月より、死の直前までイスラエル軍に軟禁された。 2006年の総選挙で、初めて選挙に参加したハマースが過半数を獲得する勝利を収めた。 ハマースをテロ組織と認識するイスラエルは直ちに「イスラエル破壊を訴える武装テロ組織が参画する自治政府とは交渉しない」との声明を発表。さらに、軍高官の発言としてハマースの議員の西側とガザ地区の自由な移動を認めないと報じられ、政治活動の妨害を宣言した。実際に、パレスチナ人の通行はその後完全封鎖された。そのため、選挙後2月18日より開会された立法評議会は、ガザとラマッラーでの分裂開会を余儀なくされ、ビデオカメラでFX 議場を中継して行われた。 米国・欧州連合も同様の認識から、パレスチナへの経済支援打ち切りを示唆した。米国は直接の援助ではなく、非政府組織や国際開発局(USAID)を通しての援助だが、米国のブッシュ大統領はハマースがイスラエルの「生存権」を認めなければ支援をすべきではないと主張した。さらに、米国防総省は2005年にガザ復興費として援助した5000万ドルの返還を要求した。イスラエルは、自らが代理徴収している関税などを差し押さえ、ハマース政権への兵糧攻めに出た。NHK「きょうの世界」4月20日放送によると、2005年の自治政府経費は月平均1億6500万ドル。自力の税収は3000万ドルのみで、イスラエルが代理徴収しているのが6000万ドル、国際社会からの支援3000万ドル、その他借金が4500万ドルを占めるという。自治政府は収入の過半数を断たれ、職員の給与を支払えない事態となった(翌年5月21日一部を支払い)。 2006年3月29日、正式にハマース政権が発足したが、職員給与すら払えない極度の財政難に苦しんだ。4月10日、欧州連合もパレスチナへの援助を停止。6月4日、ようやく給与の一部を支払った。しかし、その後もイスラエルによる差し押さえのため、給与を支払えない状態が続いている。アラブ諸国などからパレスチナへの献金運動も行われたが、米欧とイスラエル政府が送金はテロ支援であると金融機関に圧力を掛けているため、パレスチナには届いていない。 米国、欧州連合は、制裁解除の条件として、(1)イスラエルの承認(2)武装解除(3)過去の自治政府とイスラエルの合意事項の尊重などを要求している。また、イスラエルのエフード・オルメルト首相は5月23日にブッシュ大統領と会談し、ハマース政権を相手にせず、アッバス自治政府議長ら穏健派と和平交渉を進めることで合意。また、オルメルトは、パレスチナとの合意が無くても、3〜4年で入植地を自国領に取り込む形で国境を決めたいと表明した。 6月には、ハマース系の犯行と見られるイスラエル軍兵士2名の拉致事件を理由に、イスラエルはガザ侵攻を強めた。さらに、評議員を含むハマース系の政治家・活動家約80人を拉致し、評議会を機能停止に追い込んだ。なお拉致事件という外為 はイスラエル側の主張であり、交戦中の兵士に拉致という認識はおかしいとする意見も存在する。 これに先立つ6月27日、アッバース大統領とハマースのハニーヤ首相が1967年の国連停戦決議に基づく国境線の合意(事実上のイスラエル承認)で合意した。しかしイスラエルは、完全に無視した形である。 米国、欧州連合、日本などは、より穏健なファタハ(パレスチナ解放機構主流派)のアッバース議長を交渉相手と見ており、ハニーヤ首相などハマースは事実上相手にしていない。米国はパレスチナへの経済制裁を続ける一方で、ファタハに対しては独自の支援を行っている(『読売新聞』1月15日号「米国務長官、アッバス議長への軍事支援を明言」など)。 2007年3月17日、ハマースとファタハの連立交渉が合意に達し、挙国一致内閣が発足した。閣僚25人の内訳は、ハマースから首相を含む12人、ファタハから6人、その他の党派からは7人。首相はハニーヤが続投。ハニーヤ首相はイスラエル承認を含めた過去の合意を「外国為替 」と表明した。ただし、イスラエル承認を公にはしなかった。一方、イスラエルのオルメルト首相は3月18日、「テロを正当化するような内閣とは接触しない」と演説。ハニーヤ連立内閣の不承認を表明すると共に、他国にも引き続きハニーヤ政権を相手にしないよう主張した。イスラエルがヨルダン川西岸とガザ地区の間の閣僚の通行を認めていないため、閣議はテレビ電話を介して行われた。 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 ハマースとファタハの内部抗争は、連立政権の発足後も続いた。また、イスラエルによって立法評議会(国会)議員が多数拉致されており、立法評議会は事実上機能停止に追い込まれている。両者の内部抗争では、イスラエル・アメリカは一貫してファタハを援助しており、両者が内戦を煽っているとする批判もある(早尾貴紀「ハマスとファタハの抗争と連立内閣崩壊を言う前に――意図的な連立潰し」)。イギリスの『ガーディアン』紙によると、中東和平の実務者会議の中で、米国の特使は二度も「この武装衝突はいいね」と放言したという(Karma NABULSI「The people of Palestine must finally be allowed to determine their own fate」、「Alvaro de Soto's end of mission report」)。 2007年6月11日からの抗争は、本格的な内戦に突入。ハマースはガザ地区を武力で占拠し、ファタハはこれを「クーデター」と批判。背景には、パレスチナ治安維持相で、ハマースと敵対し、また親米派と目されていたムハンマド・ダハランとの抗争があり、またダハラン側が先に手を出していたとする主張もある[1]。結果、ファタハは内閣からの閣僚引き上げを宣言した。6月14日、ファタハのアッバース議長は非常事態宣言を出し、内閣の解散を宣言。6月15日、親米派のサラム・ファイヤドをハニーヤの後任の首相に指名したが、ハニーヤは解散を無効として無視した。ハマースは立法評議会の多数を握っているため、基本法(憲法)上後任の首相もハマースから任命しなければならず、アッバースの行為は違憲とする批判がある(「Whose Coup, Exactly? Virginia Tilley, The Electronic Intifada, 18 June 2007」)。ファイヤドは6月17日に「非常事態内閣」として30日間の限定で組閣したが、ハニーヤは組閣は「非合法」と反発。逆にアッバース議長は、ハマースの軍事部門を非合法化する議長令を発表し、「メンバーは処罰する」方針を示した。こうしてパレスチナの政権は、完全に分裂した。イスラエルや米国は、ハマースを排除したファイヤド政権を正式な交渉相手と認めた。また、イスラエルは、差し押さえを続けていた代理徴収した税のファイヤド政権への返還を表明した。6月20日、アッバース議長は「人殺しのテロリストたちとは対話はしない」と、ハマースを相手にしないことを表明した。また、1ヶ月前、ハマースによる暗殺未遂事件があったと主張した。